大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和61年(ネ)1291号 判決

控訴人 キクエイホーム株式会社

右代表者代表取締役 菊池彦一

右訴訟代理人弁護士 遠藤直哉

同 萬場友章

同 牧野茂

同 竹岡八重子

被控訴人 常盤文夫

〈ほか一名〉

右両名訴訟代理人弁護士 大河内躬恒

主文

一  原判決を次のとおり変更する。

1  被控訴人らは、控訴人に対し、平成元年五月一五日限り、被控訴人常盤文夫が控訴人から一億六〇〇〇万円の支払を受けるのと引換えに、別紙物件目録記載の建物を明け渡せ。

2  被控訴人らは、控訴人に対し、各自平成元年五月一六日から右明渡ずみまで一か月三万一二〇〇円の割合による金員を支払え。

3  控訴人のその余の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを二分し、その一を控訴人の負担とし、その余を被控訴人らの負担とする。

三  この判決は、第一項1、2に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴の趣旨

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人らは、控訴人に対し、控訴人から一億五五六四万四三二〇円又は裁判所が決定する額の金員の支払を受けるのと引換えに、別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)を明け渡せ。

3  被控訴人らは、控訴人に対し、各自昭和六一年七月三〇日から右明渡ずみまで一か月四〇万円の割合による金員を支払え。

4  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

5  仮執行宣言

二  控訴の趣旨に対する答弁

本件控訴を棄却する。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  藤沢建設株式会社(以下「藤沢建設」という。)は、被控訴人常盤文夫(以下「被控訴人常盤」という。)に対し、昭和五四年六月七日同会社所有の本件建物を期間の定めなく賃料一か月三万一二〇〇円の約定で賃貸した(以下「本件賃貸借」という。)。

2  被控訴人常盤は、自ら本件建物を使用占有するとともに、賃貸人の承諾を得て自ら主宰する酒類販売業を営む被控訴人合名会社長野屋商店(以下「被控訴会社」という。)に対し、本件建物を使用占有させている。

3  控訴会社は、藤沢建設から、昭和五八年三月三一日本件建物を買い受けるとともに、その賃貸人としての地位を承継した。

4  控訴会社は、控訴会社の前主藤沢建設が被控訴人常盤に対してした昭和五六年八月四日の解約申入れに続いて、被控訴人常盤に対し、本訴を提起して明渡請求をしており、控訴会社の解約申入れについては、次のとおり正当の事由がある。

(一) 自己使用の必要性

控訴会社は、肩書住所地に事務所を賃借し、不動産業を営んでいるが、同事務所は控訴会社の事業規模に比べて手狭であり、かつ、賃料等の費用負担が大きく、営業上支障が生じていること、控訴会社の開発事業の拠点が埼玉県寄居町であり、池袋周辺に事務所を移転することにより有機的な事業運営が可能になること及び本社兼商業ビルを所有することは不動産業者である控訴会社の格上げとなることから、本件建物の敷地を含む東京都豊島区西池袋五丁目一一〇九番一の土地(以下「本件土地」という。)上に高層ビルディングを建設し、使用する必要があり、そのため、控訴会社は、藤沢建設から本件土地及びその地上の五軒長屋式建物一二棟(本件建物はそのうちの一棟中の二戸分である。)を買い受け、右各建物を取り毀して本件土地上に鉄骨鉄筋コンクリート造鉄骨造地下一階地上一二階建建物の建築を計画し、右建物は、延床面積一万二六三三・五三平方メートル、総専有面積九二〇六・九三平方メートルの規模を有し、一部を自社で使用しその余を賃貸に供する目的をもって、その設計等準備を完了している。

(二) 老朽化

本件建物は、昭和二二年ころ建築された木造家屋であって、主要構造部の腐食が激しく全体的な耐久力が低下しているため、居住のための安全性を欠くが、右腐食を防止し耐久力を回復させるには改築に匹敵する大修理を行わなければならず、その程度は賃貸人として負担すべき修繕義務の範囲を越えるものである。

(三) 公共の利益

東京都豊島区では、本件土地及びその周辺土地の再開発に積極的に取り組み、本件土地に高層ビルディングが建設されることを想定している。同区では、昭和五八年の第二次追加予算で本件土地を含む西池袋五丁目地区の都市計画・地区計画策定のための調査をすることとなった。また、本件土地は、防火地域に指定されており、都市防災不燃化促進事業により高度利用地区の指定を受ける地区に含まれることからすれば、老朽木造家屋である本件建物に換えて前記のように控訴会社が計画する防火性の鉄筋高層ビルディングを建設することは、右都市再開発計画、地域性に適合する。

(四) 被控訴人らの被る影響

被控訴人常盤は、自らが中心となって家族と共に千葉市及び八王子市内で酒店を経営し、また、千葉県印旛郡白井町でも建物を所有して酒店を営業する準備をしており、同被控訴人が本件土地から他に移転しても酒類販売業の免許を継続して受けることは容易であるから、本件建物を明け渡しても被控訴人らの営業を発展させることは可能である。また、右白井町にある建物は、現在空家同様の状態にあるから、被控訴人常盤及びその家族が同所に転居することができる。

(五) 明渡交渉の経緯

控訴会社は、本件裁判上又は裁判外における本件建物の明渡交渉の過程において、被控訴人常盤が今後とも酒類販売業を継続できるようにするという観点から、適切な代替物件を提供して解決することが最良であると思料し努力してきた。これに対して被控訴人らは、控訴会社の提案に対して誠意をもって対応せず、ただ明渡を拒絶しているだけである。控訴会社が買い受けた前記五軒長屋式建物のうち、借家人との明渡合意が得られていないのは、被控訴人らの外は弾塚登美子のみであり、同人については立退料の問題を残すのみとなっており、解決は極めて容易な状況にある。

(六) 立退料

控訴会社は、被控訴人らに対し、被控訴人らが本件建物を明け渡すのと引換えに、一億五五六四万四三〇二円又は裁判所が決定する額の立退料を支払う用意がある。控訴会社は被控訴人らに対し、遅くとも昭和六一年一月二九日の原審第七回口頭弁論期日までに、被控訴人らが本件建物を明け渡すのと引換えに、二〇〇〇万円又は裁判所が決定する額の立退料を支払う旨表明しているのであるから、これによって前記立退料を提示したものというべきであるが、仮にそのようにみることができないとしても、控訴会社は被控訴人らに対し、昭和六三年一一月一五日の当審和解期日において、前記立退料を提示した。したがって、本件賃貸借は、右提示から六か月後の昭和六一年七月二九日、仮にそうでないとしても平成元年五月一五日の経過をもって終了する。

5  昭和六一年七月三〇日以降の本件建物の適正賃料相当額は、一か月四〇万円である。

6  よって、控訴会社は、被控訴人らに対し、本件賃貸借終了に基づき、控訴会社から一億五五六四万四三二〇円又は裁判所が決定する額の金員の支払を受けるのと引換えに、本件建物の明渡及び本件賃貸借の終了した昭和六一年七月三〇日から明渡ずみまで一か月四〇万円の割合による適正賃料相当損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1の真実は認める。ただし、被控訴人常盤は、昭和二二年六月一六日本件建物のうち一戸分を、昭和三一年三月二八日残りの一戸分を、いずれもその当時の所有者であった松本清から、被控訴会社と共同で持分の割合を被控訴人常盤が三分の一、被控訴会社が三分の二と定めて賃借して引渡しを受けた。

2 同2のうち、被控訴人らが本件建物を使用占有していることは認めるが、その余の事実は否認する。

3 同3の事実は認める。

4(一) 同4(一)のうち、控訴会社が肩書住所地に事務所を賃借し、不動産業を営んでいることは認めるが、その余の事実は否認する。控訴会社の事業規模は、現在の事務所で十分間に合う程度のものであり、控訴会社の本件土地上に建築予定と主張するビルディングは、その規模からみて控訴会社の自社用ビルとしては不要のものであり、控訴会社の資力からみてもその実現の可能性には無理がある。

(二) 同4(二)のうち、本件建物が木造家屋であることは認めるが、その余の事実は否認する。被控訴人らは、前記の本件建物の残部の借増しに当たって本件建物全体を改築修理し、その後も小修繕を繰り返しているので、現在も本件建物は良好な状況にある。

(三) 同4(三)のうち、東京都豊島区が都市計画・地区計画策定のための調査費を予算に計上したことは認めるが、その余の事実は否認する。豊島区の右計画は未だ調査の段階にあり具体化していない。その計画は、地域住民による不燃性建築物への建替えに助成金を補助する趣旨のものであり、控訴会社の企図するような私企業の利潤追求を正当化し、そのための口実を与える意味のものではない。これをもって控訴会社に公共性の口実を与えるなら、かえって公共団体の意図に反し、一般住民の生活の安泰を覆す結果となる。

(四) 同4(四)の事実は否認する。被控訴会社は、昭和一三年二月から本件建物の所在する地域で免許を受け、継続して現在まで酒類販売業を営んでいる。酒類販売の免許は人及び場所に対して与えられるものであり、場所については、出店地域の人口や既存業者側の事情等を総合的に判断して免許の許否が決せられるが、その許可条件は厳しく、東京都内で他に免許の得られる場所を探すことは被控訴人らの能力・資力では不可能である。したがって、被控訴会社は、本件建物を離れては営業をなし得ない。被控訴人常盤は、被控訴会社の代表社員であり、妻、長男夫婦と共に被控訴会社を経営稼働して収入を得ている。被控訴人常盤夫婦は、その年齢からして転職不可能であり、長男夫婦も転職して同額の所得を得るためには五年間の職業訓練を要するので、本件建物から離れた場合、右四名の喪失する所得は多大である。

(五) 同4(五)の事実は否認する。控訴会社が提供したと主張する建物は、いずれも酒類販売の免許を受けるのに適合しない。

(六) 同4(六)は争う。被控訴人らは、酒類販売業のほか何の技能もないから、金銭の提供を受けたとしても座食して費すほかなく、結局遠からず生活に窮するのみである。

5 同5の事実は否認する。

三  抗弁

1  控訴人と藤沢建設との間にされた本件建物売買契約の締結及び賃貸人の地位を移転する旨の合意は、後記2の事情のもとに、真実は藤沢建設から控訴人に対して本件建物を売り渡し、賃貸人の地位を移転する意思がないのに、その意思があるもののように仮装してされたものであるから、通謀虚偽表示として無効である。

2  また、控訴会社の本件建物所有権の取得は、藤沢建設から本件建物を実質上買い受けた大企業が、自己所有として明渡訴訟をする場合に生ずべき企業としての社会的評価の低下と立退料の増加を予防するため、控訴会社名義で訴訟を行うことを目的としてされたものであるから、信託法一一条に違反し無効である。

四  抗弁に対する認否

抗弁事実はすべて否認する。

第三証拠関係《省略》

理由

一  本件建物を所有する藤沢建設が昭和五四年六月七日被控訴人常盤に対し、同被控訴人の外被控訴会社をも共同賃借人としていたか否かは別として、これを期間の定めなく賃料一か月三万一二〇〇円で賃貸したこと及び被控訴人らが本件建物を使用占有していることは当事者間に争いがなく、《証拠省略》を総合すると、本件建物はもと別紙物件目録記載の家屋番号甲一一〇九番一七の旧五軒長屋式建物の一棟のうちの南側二戸分に当たるが、被控訴人常盤は、右長屋式建物の共有者松本清から、昭和二二年六月一六日そのうち南から二戸目の一戸分を賃借し、次に昭和三一年三月二八日残部を借増しし、いずれも住居として使用するとともに、賃貸人の承諾を得て自己の経営する酒類販売業を営む被控訴会社の店舗等として使用し現在に至っているものであって、被控訴会社が被控訴人常盤と共同して賃借した事実はないことが認められ(る。)《証拠判断省略》

二  請求原因3の事実は当事者間に争いがなく、被控訴人らは、抗弁として、控訴会社の本件建物の買受について通謀虚偽表示及び信託法一一条違反による無効を主張するが、本件全立証によってもこれを認めるに足りず、右主張はいずれも採用できない。

三  控訴会社の前主藤沢建設が控訴会社主張の日被控訴人常盤に対して解約の申入れをしたことは被控訴人らが明らかに争わないから自白したものとみなされ、控訴会社が解約申入れによる本件賃貸借の終了を理由として昭和五九年五月二九日原審裁判所に被控訴人らを被告として本件建物明渡等を求める本訴を提起したことは記録上明らかである。そこで、右解約申入れについて、正当の事由があるか否かを以下検討する。

1《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  控訴会社は、昭和四四年二月控訴会社代表者によって設立され、建売住宅、プレハブ住宅の建築販売、マンションの売買、分譲等により事業を拡大したが、控訴会社代表者は、昭和五六年から埼玉県大里郡寄居町で一点地域重点開発を始めるとともに、土地価格の高騰、都心のビル不足から今後は都市再開発としての商業ビルの建築が企業間の競争に勝ち抜く道であると考え、藤沢建設から前示のとおり本件土地等を購入し、右土地上に商業ビルを建築する計画を立てた。

(二)  控訴会社が右計画を立てたのには、控訴会社が肩書住所地に賃借中の店舗兼事務所は、賃料管理費を合わせて一か月八五万〇七二〇円を要するが、自社所有の右ビル内に店舗兼事務所を持てばその支出を節約することができること、控訴会社は、将来は右ビルの賃貸等の商業ビル経営の外事業を多角的に拡大する方針を有しており、将来における右事業の発展を考えると、従来の店舗兼事務所(床面積一八三・〇三平方メートル)では手狭であること、控訴会社は、前示のとおり寄居町において重点的に事業を展開しているが、同町と東武東上線で結ばれている池袋に拠点を持つことが同町での事業展開上必要であること、不動産業者にとって自社ビルを所有することは、顧客のみならず金融機関や行政官庁からの信用を得やすく、事業経営上有利であること、以上も理由として挙げられる。

(三)  前示の藤沢建設からの買受当時旧五軒長屋式建物一二棟は六戸分を除きすべて賃貸されていたが、控訴会社は、藤沢建設の協力のもとに賃貸部分すべての明渡を得るべく被控訴人常盤を含む各賃借人との交渉を開始し、本件建物を含む本件土地上の建物すべてについて、明渡を受けて取り毀したうえ、本件土地及び隣接の東京都豊島区西池袋五丁目一一〇九番五二、同番五五(いずれも子会社キクエイビル株式会社名義で取得)の合計二三二一・六八平方メートルを敷地として、自ら鉄骨鉄筋コンクリート造鉄骨造地下一階地上一二階、建築面積一四七三・五〇平方メートル、延床面積一万二六三三・五三平方メートル、専有面積九二〇六・九三平方メートル(事務室部分六七〇〇・七五平方メートル、店舗部分二五〇六・一八平方メートル)の大規模建物(以下「本件ビル」という。)を建築所有し、その大部分を事務所店舗用として賃貸し、一部を自己の店舗兼事務所として使用する計画を立て、株式会社日本設計事務所に設計監理業務等を委託する予定のもとに、同会社により基本的な設計図が作成されるに至っている。

2《証拠省略》を総合すると、前記旧五軒長屋式建物一二棟は、昭和二二年に新築した当初はバラックに近い木造二階建長屋式建物であったが、各借家人がそれぞれの立場で修理や増改築をしてきたためその品等外観は区々となっているところ、本件建物については、契約上現状のまま使用し賃貸人の承諾を得ずに建物の変更ができないこととされているが、被控訴人常盤は、その都度賃貸人の承諾を得て、前示のとおり昭和三一年に借増しした際には、二戸分を一体として利用できるよう内部の大改造及びこれに伴う屋根、外壁の取替え工事を行い、昭和五五年にも一階店舗部分の改装を行うなどしてきたため、本件建物内部の維持は良好であるものの、本件建物には基礎がなく土台の東側外周の一部は腐朽が著しく、建物の骨格をなす隅柱等は建築当時のままであり、全体としてはかなり老朽化しているうえ、一棟のうちの北側に隣接する空屋部分が解体撤去されたことに伴う耐久力の低下もあり、もはや補強工事によって主要構造部の強度を補強することはできず、昭和五九年一二月一日の時点で経済的にはもはや使用の限界に近いといえるが、物理的観点からはなお一〇年以上の残存耐用年数の推定されることが認められる。

3《証拠省略》を総合すると、本件土地は、池袋駅西口から要町方面に通じる幹線街路である都道補助七八号線に北面し、全体を更地化して一括利用する場合、東側道路部分を除いても有効地積は約二〇〇〇平方メートルあり再開発が見込まれたため、既に昭和五四年ころから不動産業者である宝和商事株式会社、藤沢建設らが順次本件土地建物等を買い取り、各借家人に対し立退きを働きかけていたが、従来本件土地付近は、池袋駅西口を中心とする準高度商業地からややはずれており、集客的施設にも乏しいので客足の流れはさえず、この状況を打開するとともに池袋副都心としての今後の発展を図るため、地元商店会と豊島区との協力により右都道沿いの街づくりが進められ、その過程で豊島区がまとめた調査報告書においても、本件土地は控訴会社の取得前から既に開発許可該当の共同ビル計画ブロックとして位置づけられていたが、昭和五九年東京都施行の都市計画により同都道の拡幅整備が完了するのに伴い、本件土地周辺の同都道両側はビル建築が急速に進んでいること、そして、本件土地を含む西口二又交番から西、立教大学の東側までの間の同都道と立教通りにはさまれた三角形の範囲の土地は、豊島区によって建築基準法上の地区計画の地域に予定され、そのための調査も行われており、これにより街区の整備、建物の立体化、同都道と立教通りとの連繋等による商店街の活性化が図られ、本件土地は、その位置及び面積からみて地区計画の中核となることが予想され、その場合には高度利用地区の指定を受ける可能性があること、なお本件土地を含む前記土地は防火地域に指定されているが、昭和六二年四月からは都市防災不燃化促進事業が実施されていること、控訴会社は、本件ビル建築には開発許可を要するため、右の各要請に適合するように本件ビルを建築すべく、関係官庁との協議を進めていることが認められる。

4《証拠省略》を総合すると、被控訴人常盤は、先代から引き続き個人営業として酒類販売業を営み、昭和一三年二月一日同営業を目的とする被控訴会社を設立し、以来その代表者の地位にあり、昭和二二年に本件建物の一部を賃借して以降、本件建物を自己の住居及び被控訴会社の店舗として使用し、昭和三一年には本件建物の残部を借増しし、その後一時近隣の借家に店舗を出したものの、道路拡幅により立退を要求されたことから、昭和五五年以降再び本件建物内に店舗を移し、その代わり倉庫を他に借りたこと、被控訴人常盤は、本件建物に妻、長男と共に居住し、昭和五八年以降は長男の妻も同居して、右四名は専ら被控訴会社の業務に従事し、被控訴会社から収入を得て生計を立てていること、被控訴人常盤は、千葉市柏井町に土地店舗を有する株式会社ながのやの代表取締役でもあり、また八王子市大楽寺町に店舗を構える有限会社ながのや酒店の出資者でもあるが、前者は実質的には長女夫婦が、後者は次女夫婦がそれぞれ経営し、各店舗所在地にその子らと共に居住して生計を立てていること、被控訴人常盤は、昭和五四年一〇月、妻、長女の夫と共に千葉県印旛郡白井町清水口に土地建物を購入したが、それは千葉県から住居専用として分譲を受けたものであるから、現時点では同所で酒類販売業の免許を受け得る見込みはなく、居住及び営業の本拠は依然として本件建物にあること、なお、長男夫婦は昭和六〇年二月豊島区池袋二丁目に土地付倉庫居宅を購入し、居宅部分は他に賃貸し、倉庫部分を被控訴会社の倉庫として使用していることが認められる。

5(一)《証拠省略》を総合すると、控訴会社は本件土地建物取得後昭和五九年一月から本格的に被控訴人常盤との本件建物明渡交渉を開始し、同被控訴人は酒類販売業を継続できることを明渡の条件として、当初控訴会社が本件土地に建築予定のビルへの入居を希望したが、控訴会社においてこれに応じる意思がなかったため、やむなく代替物件の提供を要求し、立退料支払の場合に比較しその方が双方にとって節税を図り得るところから、本訴提起後も控訴会社から同被控訴人に対して多数の物件の提示が試みられたが、いずれについても営業上の支障等を理由に同被控訴人の了解が得られなかったこと、控訴会社の本件ビル着工は、本件土地上の各建物賃借人に対する明渡交渉が予期に反して難航したため当初の予定より大幅に遅れ、それに伴う金利負担が増大しているが、その間本件土地を含む都心部の地価が高騰したため、かえって実質的には資産が増大している状況にあること、本件係属中にも他との明渡交渉は進展し、現在では未解決の借家人は同被控訴人を除いては弾塚登美子を残すのみであり、同人との間でも解決の可能性が相当高くなっていることが認められる。

(二)《証拠省略》によれば、不動産鑑定士岡本茂延は昭和六一年一二月末日現在の本件建物賃借権の価格を一億二五六八万八〇〇〇円と鑑定評価している(一般に建物賃借権については未だ客観性のある取引相場が形成されるまでには至っていないことや再開発によって生ずる利益及びその配分についても客観性を有するものとはいえないから、直ちにその額を本件立退料とすることは相当ではないが、一つの理論的試算として参考とすべきものである。)。

(三)  ところで、昭和六二年一月一日以降に控訴会社の本件土地上の各建物賃借人に対する明渡交渉が解決した事例をみると、《証拠省略》を総合すると、昭和六二年五月二九日東京地方裁判所で和解の成立した鈴木広(一戸分)については、控訴会社が同年三月一五日四七〇〇万円で購入した代替物件の提供及び立退料五〇〇万円の支払を約しており、同年六月一九日同裁判所で和解の成立した望月建設株式会社(二・五戸分)については、立退料一億五〇〇〇万円の支払を約しており、昭和六三年三月一一日同裁判所で和解の成立した谷口博昭(一戸分)については、控訴会社が同年一月二一日五八五〇万円で購入した代替物件の提供及び立退料五〇〇万円の支払を約しており、同年一二月一九日同裁判所で和解の成立した下地金助ら(一戸分)については、立退料六六〇〇万円の支払を約しており、同日同裁判所で和解の成立した瀬下ナカら(一戸分)については、代替物件の提供及び立退料一〇〇〇万円の支払を約していることが認められる。

(四)《証拠省略》によれば、被控訴会社は昭和五九年二月一日から昭和六〇年一月三一日の間に九一〇七万九九八四円の売上があり、売上利益一四八二万二一五一円をあげ、被控訴人常盤ら四名に報酬、給料等として合計八四七万二〇〇〇円を支払っていることが認められる。なお、被控訴人常盤は当審において、被控訴会社は現在年間一億円の収入がある旨供述するが、これを裏付ける何らの証拠もなく、直ちに措信することはできず、他に被控訴会社ないし被控訴人常盤らの年収額を認めるに足りる証拠はない。

6 以上の事実を前提に正当事由の有無について検討するに、控訴会社の本件建物明渡の必要性は、市街地再開発の一環としての本件ビル建築を目的とするものであって、直接には営利を目的とするものではあるが、本件土地は、控訴会社の取得前から再開発を要する土地としてそれへ向けての動きのあった土地であって、本件ビル建築は、豊島区及び地元住民の総意である本件土地周辺地域の活性化及び防災、不燃化等の公益目的に沿うものであり、被控訴人常盤は、長年にわたり本件建物で営業を継続し安定した営業地盤を培うに至ったものであって、その居住の必要性は低いものとはいえないが、本件建物は既に老朽化しており、遅くとも今後数年のうちに法律上朽廃と目すべき状態となって賃借権が消滅する運命にあること、その他前示認定の諸事情を考慮すると、控訴会社において被控訴人常盤に対し一億六〇〇〇万円の立退料を提供する場合には、本件建物明渡の正当事由を具備するものと認めるのが相当である。

ところで、控訴会社は被控訴人らに対し、昭和六三年一一月一五日の当審和解期日において、当裁判所を通じ被控訴人ら代理人に同日付準備書面を交付することにより、被控訴人らが本件建物を明け渡すのと引換えに、一億五五六四万四三〇二円又は裁判所が決定する額の立退料を支払う旨表明したことが訴訟上明らかであり、これをもって右一億六〇〇〇万円の立退料の提示があったものとみることができ、正当事由に関する右事情は六か月を経過した時点においても変ることがないものと認められるから、本件賃貸借は同日から六か月後の平成元年五月一五日の経過をもって終了するものというべきである。なお、控訴会社は右和解期日前の本訴追行の過程においても、立退料として六〇〇〇万円又は裁判所が決定する額の立退料を支払う旨表明していたことが訴訟上認められるが、その際には、控訴会社は、被控訴人らが一億円もの多額の立退料の要求を行ったとして被控訴人らの態度を非難しているのであるから、右提示によって正当事由を具備したものと認めることはできない。

ところで、本件は将来の給付を求める訴となるが、本件訴訟の経過に徴すると、明渡請求権の発生する時点となる平成元年五月一六日において被控訴人らが直ちに明渡しを履行するものとは認め難いから、将来の給付を求める訴の利益を具備するというべきである。

四  右平成元年五月一六日当時の適正賃料相当額がこれまでの賃料額であることに争いのない一か月三万一二〇〇円をこえることについては、前掲の鑑定の結果及び《証拠省略》中の各本件建物賃借権価格を算出する過程における正常実質賃料の記載は期待利回りを基礎とする理論上のものにすぎず、前記約定賃料額との対比からしても、直ちに適正賃料額ということはできず、他にこれを認めるに足りる的確な証拠がない。

五  以上によれば、被控訴人らは、控訴人に対し、平成元年五月一五日限り、被控訴人常盤が控訴人から一億六〇〇〇万円の支払を受けるのと引換えに、本件建物を明渡し、かつ、各自同月一六日から右明渡ずみまで一か月当たり三万一二〇〇円の割合による賃料相当損害金を支払うべき義務があり、控訴人の本訴請求のうち右の限度を超える部分は理由がないものとして棄却すべきである。

よって、これと異なる原判決を右のとおり変更し、訴訟費用の負担について民事訴訟法九六条、九二条、九三条を、仮執行宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 丹野達 裁判官 加茂紀久男 河合治夫)

〈以下省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例